Kobayashi Masafumi (age28)
1994年11月2日、三重県生まれ。友人の父のもとで、塗装職人として修業を始める。職人として経験を積んだ後に、スカウトされて株式会社平野塗装
(http://www.hirano-tosou.com/)に入社。職長を務めて多くの現場を仕切り、平野塗装内で施工件数1位に輝くなど、同社のエースとして活躍している。
INTERVIEW
1994年11月2日、三重県生まれ。友人の父のもとで、塗装職人として修業を始める。職人として経験を積んだ後に、スカウトされて株式会社平野塗装
(http://www.hirano-tosou.com/)に入社。職長を務めて多くの現場を仕切り、平野塗装内で施工件数1位に輝くなど、同社のエースとして活躍している。
Chapter 1
友人の父親が塗装業をしていて、そこで働き始めて塗装職人になりました。職人歴は今年で12年です。
最初は高圧洗浄工事から始めました。やることは、基本、手元でしたね。現場で「何々持ってきて」って言われるようなアシスタントの仕事です。
もともと何にでも前向きにガツガツ行ける根性はすごいあると自分でも思っていて、それが職人としての自分の強みです。
4年ぐらい前から職長になったんですが、人の采配とかも向いているなと感じました。そういった意味で、塗装職人は自分にとって天職なのかなと思った部分はあります。
職長としては、普段から職人の健康状態を気にして、ヒューマンエラーが起きないように管理すべきと思っています。朝の挨拶だったり、しっかりコミュニケーションすることで、職人のコンディションを判断しています。
一昨年ぐらいに2000平米の大きな現場があって、僕が仕切ったんです。他の塗装屋さんとのつながりを大事にしていて、そういった方々に「こういう大きい現場があるから応援に来てくれないか」と声をかけたら、みんな喜んで来てくれて、ありがたかったですね。
Chapter 2
平野塗装に入ったのは、5年前ぐらいです。社長(平野裕司氏)からスカウトされました。
平野氏 若さというか勢いというか、すべてを兼ね備えていたんですよ。やっぱり、この業界、若い職人が入ってきづらいところもあるので、彼に可能性を感じて声をかけました。
ここら辺だと大通りを走ってたら看板が目に入りますから、会社に入る前から平野塗装のことは知っていました。そういう大きい会社から声をかけてもらえて恐縮しましたし、職人として認められたとも思ったのでうれしかったです。
平野塗装は、なんて言うんでしょうね、よそとはスケールがそもそも違うと思っています。受ける仕事の規模だったり、件数だったり、内容が違うんです。
その中で、地区施工件数1位ということで会社からトロフィーをもらったこともあって、それもうれしかったですね。
現場では戸建てから公共事業まで、いろいろなものを手がけています。戸建ては、同じお客様はいません。現場ごとにお客様が違うので、そのたびに違う喜びかたをしていただける部分がありますので、やりがいがあります。
Chapter 3
20歳のときに結婚しました。子供は3人とも男の子です。次男、三男は双子です。上の子は8歳で、双子は6歳です。休みの日には家族でバーベキューだったりとか、そういうことはできるだけやっています。
僕自身は釣りが趣味です。この辺だと海釣りで、カサゴ、ブリ、ハマチとかが釣れますね。月1回ぐらいは行ってます。
僕は鈴鹿市出身なんですが、三重県のご飯はすごい大好きです。四日市のB級グルメのトンテキも大好きなんで。よく「グローブ肉」って言われていて、グローブみたいな形に切られた厚切りの豚肉を焼いた料理です。タレはニンニク増し増しで、そのタレで食うキャベツも美味いんですよ。
社会貢献や地域貢献とか、そういう部分でも三重県の力になれたらと思っています。平野塗装はボランティアにも力を入れていて、僕も参加しています。
もともと10代のときに公園の遊具を塗装する仕事をしたいなと思っていたので、ボランティアで公園の遊具をカラフルな色で塗装させていただいたときは、すごい楽しかったですね。
取材でお邪魔した現場にて。左から小林さん、代表取締役の平野裕司さん、本社営業総務の井上よし江さん。カモ井加工紙の「井」のポーズで記念撮影です!
掲載日:2023年6月30日
社長からスカウトされて入社して会社のエースに。