Fukumoto Takayuki (age48)
FT工業代表 1969年12月13日、埼玉県生まれ。中学卒業後、土木工事用重機の運転手の父親の助手を務める。その後、大型特殊免許を取得、運転手となるが、26歳でコーキング職人へ転職、29歳で独立した。花火職人でもある
INTERVIEW
FT工業代表 1969年12月13日、埼玉県生まれ。中学卒業後、土木工事用重機の運転手の父親の助手を務める。その後、大型特殊免許を取得、運転手となるが、26歳でコーキング職人へ転職、29歳で独立した。花火職人でもある
Chapter 1
中学卒業後、ユンボやブルドーザーなど、土木工事用重機の運転手だった父の仕事を手伝っていました。自分も運転したかったんですが、18歳になるまで、大型特殊免許を取れませんから、それまで助手席に座って、下働きみたいなことをしていたんです。ただ、助手をしていた3年間の経験は、その後、生きてきたと思います。ベテラン運転手である父の仕事ぶりを見て、いろいろ学ぶことができましたからね。
それで、やっと免許を取って、経験を積んで、自前で大きな重機を買って独立して稼ごうとしていたところ……バブル経済が崩壊してしまった。重機は1000万円以上するんですが、もちろん、ローンなどの借金をすることになります。それまではゴルフ場や宅地の造成など、土木重機の仕事はいくらでもありましたから、返済して、稼ぐこともできたんです。ところが、いきなり目の前の仕事もなくなってしまって……独立は辞めて、重機の運転手を続けていたんですが、一方、将来、独立するにしても、それほどの資金が必要にならない仕事はないのかと、探していたんです。
そんなところ、外壁にサイディングを張る仕事をしていた知り合いがコーキングもしていて、手伝ってくれと誘われて……26歳で転職することにしました。知り合いの親方のもと、最初はサイディングボード張りも手伝っていたんですが、だんだんコーキングを専門にするようになっていって……3年ほどしてから、コーキング職人として独立しました。
コーキングを専門にしようと思ったのは……まず、もともと、細かい仕事のほうが好きなんですよ。それに、外壁にサイディングを運んで張っていくのは力仕事になりますから、長く続けられるものではないように思えたからです。
Chapter 2
13年前から、東秩父の神田花火という花火屋さんで花火師もやっているんです。花火師を始めたのは……地元の友人が採石場をやっているんですが、採石に使うダイナマイトを使うのには火薬類(製造・取扱)保安責任者という国家資格が必要になります。しかも、この資格には甲・乙・丙種の3種類があるんですが、いちばんむずかしい甲を持っている人間が5人いないと、火薬庫にダイナマイトなど火薬を保管できないという規定があるんです。そのために、友人に資格を取っておくように頼まれたことがきっかけなんです。資格を取るために、火薬の勉強をしているうちに、花火を打ち上げたくなって、伝手を頼って花火職人になることもできました(笑)。
埼玉や関東近郊で花火大会が数多くある夏はもちろん、冬でも花火の打ち上げがある秩父夜祭などがあるから、年中、結構、花火で忙しいんですよ。
その点、コーキングの仕事は2、3日で終わる現場が多いので、予定が立てやすいんです。ただ、足場の期限を切ってくる現場が多いので、天候で工期が延びたりすると、いろいろたいへんです。コーキングは湿度が高いと、コーキング材がなかなか乾きませんからね。
ですから、効率よく仕事をしていくことを心がけています。
たとえば、養生は半日で終わらせたいんですが、きちんと貼っていかないと、その後の作業が滞ってしまいます。カモ井加工紙さんの「SB-229P」というマスキングテープは、湿度が高くても問題なく貼れたりするので重宝しています。それに、最近はサイディングボードが多種多様になってきていますからね。素材、表面のタイプはさまざまですから、マスキングテープも超粗面なら「風神」、砂まきや凹凸が激しかったら「SB-246S」というように、細かく最適なものを選んで使い分けるようにしています。作業効率が全然、違ってきますからね。
Chapter 3
細かい仕事のほうが好きだと言いましたが、最初、コーキングの仕事で戸惑ったのは〝許容範囲〟でした。作業として、目地にコーキング材を詰めていくんですが、新人のうちは全部、均等にしていかなければならないと思う。
でも、実際の仕事としては、完璧に均等にする必要なんてないんです。手を抜くということではなくて、経験を積んでいくと、このタイプの板なら目地をこの程度、詰めていけば、何に問題もないということがわかってくる。
そういう〝許容範囲〟に収めるということが、一人前の職人の仕事になってくるんです。ていねいに仕事をすることは大切ですけれど、バカていねいにやるのはプロの仕事ではないということです。
それは養生にしても同じことです。コーキング作業をやりやすいように真っ直ぐに貼ることは重要ですが、きれいに貼ることを目的にしたら、本末転倒になってしまいかすからね。きれいに貼るのはいいですけれど、時間をかけすぎたり、後々、剥がしにくくなるような貼り方をしていたら、プロの仕事ではありません。
この仕事をしていて、いちばん嬉しいと思うのは、最後に養生を剥がして、コーキングを打ち終わった現場を見るときの爽快感ですね。きれいに仕上がっているのを見て、仕事を終えた充足感を感じます。
Chapter 4
花火は収入もありますから、純然たる趣味は闘鶏です。20代の頃から自宅で軍鶏を飼っていて、ブリーディングをして、関東や東北の大会へ出しているんです。櫻井英樹さんとは軍鶏つながりで知り合ったんですが、闘鶏は鶏の総合格闘技みたいなものですよ。櫻井さんは自ら実戦していますが、自分はやっていないんですけれどね。
FT工業という社名は福本貴之、Fukumoto Takayukiのイニシャルからつけました。工業としたの、自分はコーキング職人ですけれど、請ける仕事の幅を広げていこうと思ったからです。実際、この仕事を20年以上続けてきて、人のつながりもいろいろできていますから、内装や外壁、屋根、板金、サッシ、それにリフォームなど、いろいろな仕事を請けています。
外壁工事だったら、コーキングはうちでやって、サイディングなどを下請けに出すというようにね。
幸い、仕事が途切れることはありませんから、体力が続く限り、職人として現場に立ち続けられそうです。自分には娘が2人いるんですが、長女は結婚していて、2人目の孫が産まれたばかりなんです。孫たちの成長を見続けたいですし、元気な姿を見てもらいたいから、あと20年は仕事を続けていきたい。年齢をくっても長く続けられる、コーキング職人という仕事を選んでよかったと、つくづく思っているところです。
掲載日:2018/11/14
コーキング職人に転職してよかったと、つくづく感じています