Niioka Shinosuke (age47)
1976年8月30日、北海道生まれ。職人歴29年。平成25年に、「これからの時代は、職人の世界も社会保険や安定雇用のことを考えなければ」との思いを胸に独立。以来10年、北の国で手応えを感じる日々を送っている。〈シンテック〉という社名には、自分の名前と新しい時代のイメージを込めた。北海道の基幹道路などインフラ工事の現場にも果敢に挑む、売り出し中のニューリーダーだ。株式会社シンテック (sintecpaint.com)
INTERVIEW
1976年8月30日、北海道生まれ。職人歴29年。平成25年に、「これからの時代は、職人の世界も社会保険や安定雇用のことを考えなければ」との思いを胸に独立。以来10年、北の国で手応えを感じる日々を送っている。〈シンテック〉という社名には、自分の名前と新しい時代のイメージを込めた。北海道の基幹道路などインフラ工事の現場にも果敢に挑む、売り出し中のニューリーダーだ。株式会社シンテック (sintecpaint.com)
Chapter 1
北海道は、ごらんのように冬は毎日のように雪が降るので、塗装の現場はほとんどなくなります。橋梁のようなインフラの仕事はもちろん、一般外壁もです。ですから、今もうちの会社の人間は、ほとんど札幌にいません。皆が関西へ行っています。
わたし自身も独立前は、冬が来るたびに内地へ行っていました。千葉、埼玉、静岡、名古屋、大阪、九州、東北。日本全国どこへでも行きました。
会社の仲間で5~15人くらいのチームを組んで、行った先々を拠点に、皆でひと冬のあいだ一緒に生活しながら、仕事のある現場へ向かう。期間はだいたい半年間、11月~ゴールデンウィークの連休までですね。もしかしたら北海道にいる時間の方が短いかな、という時期もありました。
Chapter 2
北海道から持って行くのは車と道具と手(=技能)だけ。家族と会えないのはやはり淋しいですね。長男がちいさかった頃は、まだ会社を興す前だったので、一人親方のわたしも、まるまる半年間札幌を離れていたんですね。出かける時は「パパ―!」ですから、たまらない気持ちになって写真を胸に働いていたのですが、帰ってくると子供から「だれこのおじさん?」という目で見られたのは、今となっては懐かしい思い出です。
日本各地で働く塗装職人の生活は、意外と充実していて楽しいものです。各地各地で、仲間たちと名物を食べたり飲んだり、そういう気分転換は必ずします。毎年、全国各地で暮らすのは、貴重な人生の経験です。
どこへ行っても、「北海道の職人の腕を見せてやるぞ」というプライドはもちろんありますね。過去には、「冬はどうせ仕事がないんでしょう」と足元を見られることもあった。くやしいですよね。奥歯をかみしめたことを覚えています。
「北海道の人は真面目ですね」とよく言われます。その理由をわたしなりに考えたのですが、なにしろ北海道の職人は、地元でペンキを塗れる期間が内地の半分しかないでしょう。その短い期間に仕事を覚えなければ!と、ものすごく真剣に、若いときに腕を磨こうとするんですよね。そういう習慣が北海道の“職人気質”を生んでいるのかもしれません。
Chapter 3
北海道は自然が豊かなので、カヌーやキャンプやスノーボードなどもやっています。職業柄を生かしDIYするのが趣味になってますね。
ベルギーの材料でモールテックスという左官材があって、コテを使ってリフォームなどもやっています。意匠塗装のジャンルに入るのですが、ジョリパットなど意匠性のあるものはやっていて面白いですね。インスタ等で知った新しい素材を問い合わせたりは、良くやっています。
この間は初めて外国人のお客さまからご連絡をいただいて、キッチンをモールテックスでやらせてもらったのですが、日本とはサイズがちがう大型の高級キッチンで、すごい家だなあとびっくりしました。
なにはともあれ−−。“半年は北海道で、半年は日本のどこかで”仕事をするのが、北海道の塗装職人の人生です。わたしは会社を興して以来、“社長”として仕事をさせていただいてますが、いつも仲間たちと助け合って支え合って暮らしていきたい。そう思って仕事をしています。
内地でいろいろな職人を見ましたが、北海道の塗装職人は、やっぱり手と人間が良いなあと、わたしの眼には映ります。素晴らしい職人である前に素晴らしい人間でないと、毎日の仕事にはつながりません。最高のAttitudeを持ち、目標(夢)を明確にしながら日々皆様に感謝して信頼される職人になりたいですね。
掲載日:2023年1月24日
北海道の塗装職人の手と誇りとは、雪の大地で育ちます。