Inagaki Hiroko (age40)
稲垣博子 1980年3月5日生まれ。東京都相模原市出身。多摩美術大学油絵科卒業。元美容師の父が創業した稲垣塗装で高校時代から現場修行を始め、大学入学と同時に世界資本のテーマパークの建設(各種特殊塗装)に参加。一級技能士など各種建設系資格の他、中学校高校の教職免許を保有する異色の女性職人。昭和58年創業、稲垣塗装。
INTERVIEW
稲垣博子 1980年3月5日生まれ。東京都相模原市出身。多摩美術大学油絵科卒業。元美容師の父が創業した稲垣塗装で高校時代から現場修行を始め、大学入学と同時に世界資本のテーマパークの建設(各種特殊塗装)に参加。一級技能士など各種建設系資格の他、中学校高校の教職免許を保有する異色の女性職人。昭和58年創業、稲垣塗装。
Chapter 1
小学校の頃から絵を描くのが好きで、多摩美術大学の油絵を卒業しました。なにしろ子供の頃から何かを作ることが好きで、その流れで美術大学に進んだのですね。高校時代から塗装の現場で刷毛を持って働いていましたよ。それを言うと、大学の同級生たちは皆驚いていましたね。普通は美術予備校に通って、絵画一筋で油絵科に入ってきますから。
でもそもそもは、塗装屋さんを継ぎたかったわけじゃあないんです。仕事に役立つようにと父からはデザイン科を勧められたのですが、それで油絵を選んだくらいです。
大学生活が始まって、すぐに舞台美術の製作に魅せられました。下北沢などの小さな劇場で公演する芝居の舞台美術を作るのが役目です。演じられる芝居の物語世界を理解して、少ない予算の中でどう空間をイメージとして表現するか―― 毎回が刺激的な挑戦でした。卒業後は、それを仕事にとも考えました。
Chapter 2
私の家系は、おじいちゃんが塗装屋で、父の出発点は美容師なんですね。父はオシャレなんです。その父によると、当時の美容師の職場は独特の女性社会だったらしくて、いろいろな苦労があったそうです。そういう中で父は、私が誕生するのと前後して、意を決して祖父の塗装の会社へ移ったと言います。逆に塗装は男の世界。女性の少ない仕事場です。性別による大変さを、先輩職人である父が理解して応援してくれているのは、女性職人の私にとって力強いです。
この現場もそうですが、一緒に働いている人たちは全員私より若く男性です。あんまり男性/女性は感じないです。
でも実際の仕事に就いた最初の頃は、いろいろと気づくことがありました。お客さまのところへ見積もりを取りにうかがう時など、「え、女性で大丈夫なのかしら」と、一瞬表情に感じる時などがあったんです。「どうか安心して、お任せください!」それをお伝えしたくて、一級技能士ほかの資格を取りました。資格を示すと、やはり安心してもらえますよね。
Chapter 3
私が塗装の修行に集中したのは、東京のテーマパークの建設現場です。東京湾岸にある有名な遊園地で、大学入学と同時に、志願してパビリオンの建造に参加し始め、竣工までの4年間ずっと、学生生活と並行して携わりました。
なにしろ、壮大な敷地内の特殊なパビリオンを、次々と製作してゆく“おとぎ話の世界”を作る現場です。青春を捧げるような気持ちで、様々な技術に向き合って4年間を熱中して修行できたのは、貴重な経験でした。具体的には、エイジング塗装の面白さ知り、技術面で徹底的に磨かれました。
父が創業した稲垣塗装は今年で35年。今では地元になくてはならない塗装屋さんとして親しんでもらえるようになりました。新しい試みもどんどんやっています。
私が先生をつとめる小中から高校生のための絵画教室「アトリエ・ロコ」は、始めてもう10年間になります。子供時代は粘土や工作から、高校生になってくればデッサンや絵画などの受験対策も引き受けています。やっぱり絵も好きだし、ものを作る楽しさやうれしさを大勢の人達に知って欲しいという気持ちが湧き上がってきます。
エイジングペイント専門の自分レーベルの会社として、「(株)ロコペイント」を設立したのは3年前です。専門の職人としてさらに仕事の幅を広げていきたいと夢は膨らみます。
昨年からは、新型コロナを受けて、ZOOMやLINEを利用して、塗装の「WEB相談会」も始めました。塗り替えには適切なタイミングがあって、先延ばしにすればいいというものではないですよね。それをどうお客様へ伝えるか―― 塗装の仕事はまだまだ仕事の領域が広がるし、アイデアの発揮のしどころがあると考えています。
掲載日:2021/2/26
物を作るのが大好きだった少女時代。そして美大から現場へ。美術教師の免許を持つ異色のママ職人。