Tokutake Shusuke (age56)
徳竹塗装代表取締役 1962年3月2日、埼玉県生まれ。日本大学農獣医学部畜産学科(現・生物資源科学部動物資源科学科)卒業後、家業の徳竹塗装に入社。2002年に代表取締役に就任。趣味はスキューバダイビング、グルメ、旅行
INTERVIEW
徳竹塗装代表取締役 1962年3月2日、埼玉県生まれ。日本大学農獣医学部畜産学科(現・生物資源科学部動物資源科学科)卒業後、家業の徳竹塗装に入社。2002年に代表取締役に就任。趣味はスキューバダイビング、グルメ、旅行
Chapter 1
学生時代、休みのときはアルバイトで手伝っていましたよ。その頃はいまと違って、油性塗料が一般的だったので、ぶっ倒れそうな職場環境でしたからね。こんなたいへんな仕事は継ぎたくないなあと思っていたんです。
大学は畜産学科に進みました。牧場で働きたいという夢があったんですけれど、卒業前に会社の番頭のような存在だった、父の片腕の方が急死してしまって……。父の困っている姿を見て、将来、家業を引き継ごうと入社を決めました。そして、会社の仕事を一通り覚えるために、職人、営業、両方で働き始めたんです。父から技術も身につけて、現場のことを理解するように強く言われていました。やっぱり、この仕事は現場が第一ですからね。父自身は営業あがりだったんですけれど……。
入社した頃、バブル経済の入り口、真っ最中の頃だったので、とにかく、仕事が山のようにありました。会社は父が社長で営業が私を含めて2人、経理が1人、職人が20~30人ほどが働いていました。営業の仕事はこちらから動かなくても、依頼の電話がじゃんじゃんかかってきていましたからね。営業の仕事は現場に行って見積もりをして……自分も現場に行くこともありましたが、職人を集めることが仕事のメインでした。
いまはホームページをつくったり、チラシを配ったり、一生懸命に営業していますが、当時は本当に考えられない好景気だったんです。それに、戸建て住宅だったら新築が90%強。いまはリフォームが95%以上、新築は5%あるかないかですから、本当に時代は変わってしまいました。
Chapter 2
ただ、状況に合わせて仕事を進めていくしかありませんからね。いま、うちの会社は工場や倉庫、店舗など会社関連が半分、戸建て住宅が半分に仕事をシフトするようにしていて、両方へ営業をかけています。昔はよかったと嘆いていて、後ろ向きになってはいられません。
昔から工場など、会社関連の仕事にも力を入れるようになったのは、一度受注すると、定期的に塗り替え仕事が入ってくることが多いからです。
外壁塗装は10年、20年が寿命と言われますが、戸建て住宅は個人がお客様ですから、経済的にむずかしいところがあります。ところが、会社関連はイメージが大切ですし、リニューアル需要もあるんです。大きな仕事ですから、張り合いもありますしね。
ただ、大きな会社が相手なので、塗装会社に信用がなければ、受注できません。うちの会社は父の代から50年、しっかり仕事を続けてきています。アステックペイントジャパンという塗料会社の全国施工実績で1位の表彰を受けたこともあるんです。
最近では、たとえば、ニトリさんの仕事もいただいています。先日は埼玉、神戸、福岡の3か所で屋根塗装もやらせていただきました。神戸、福岡は元請けになって、現地の業者さんに任せました。仕事のやり方は、時代に応じて、変えていかなければならないですからね。
Chapter 3
塗装の現場で34年間働いていますが、いちばん変わったと感じることは、職人と呼べる若い人が極端に少なくなってしまったことです。若い職人が育っていないんです。
いま第一線で働いているのは40代の職人たちですが、彼らの世代までは何でもできるんです。ところが、戸建て住宅の仕事ばかりやっている20代の若い人たちの多くが、刷毛が使えなかったり、色もつくることができなかったりする。
以前は刷毛を使って塗っていたところも、小さなローラーで代用がききます、ですから、刷毛を使いこなすスキルがなくても、とりあえず塗ることができる。また、さまざまな色の塗料が既成で用意されているので、自分で色をつくる必要がありません。
道具がどんどん便利になってきていて、技術を身につけなくても仕事ができるようになっているんです。
たとえば、玄関ドア周りの塗装は、金属製ドアだったら①下地処理(ケレン)、②下塗り(サビ止め)、③中塗り、④上塗りというように、作業工程が決まっているんですよ。ところが、あるとき、若い人が仕事をしているのを見ていたら、①を端折ったり、滅茶苦茶な塗り方をしていて、愕然としたことがありました。若い人たちがなかなか定着してくれないことを含めて、業界の将来のために、どうにかしないとならない問題だと考えているところです。
Chapter 4
いま、うちの会社では外国人技能実習制度でベトナムからの実習生が3人、働いているんです。期限は3年ですが、5年まで延長できます。母国に戻ってから塗装で身を立てていこうという意気込みがあるので、はやく技術を身につけようと、かなり一生懸命、仕事に取り組んでくれています。若い人たちが彼らの仕事へ取り組む姿を見て、刺激を受けてくれればいいんですが……。
バブル経済がはじけてから20数年間、職人を育ててこなくて、ここ数年になって、ベテランが引退するようになって、本物の職人が少なくなってきていることにやっと気づいてきたという。これは塗装業界だけではないと思いますが、自分自身の反省を含めて、職人の技術の伝承ができていないことは、日本の将来の問題となっていると思うんです。
状況はますます厳しくなっています。塗装料金もデフレ、価格破壊の波にさらされていますからね。
ペンキ屋のライバルは工務店さんだったのが、最近は家電チェーンや流通大手が塗装業界に進出。私たちがきちんとした仕事をするのにはとても請けられない、きちんとした職人に相応の賃金を払うことのできない料金で攻勢をかけてきていますからね。そんななか、私たちができることとしては——きちんとした仕事をしていくことしかありません。
子供は3人います。29歳、26歳、23歳で全員、男です。いまのところ、誰も会社に入社していないんですが、会社を継いでもらいたい気持ちが半分、自分のやりたい仕事をやっていってほしいという思いが半分です。
自分自身が急な事情で跡を継ぐことになりましたから、本人たちの気持ちを大切にしたいんです。ただ、私は父が72歳のときに社長を引き継いだんですが、そろそろ後継者について真剣に考えなければならないと感じているところです。
掲載日:2018/11/14
塗装職人の技術を後世へ伝えていきたい