TAKITA SHIGENORI (age45)
1980年10月23日、東京都大田区出身。18歳の時、地元の先輩に誘われて年末のアルバイトで現場に入ると職人たちは厳しかった。怒られ怒鳴られ続けていると、半年後には正社員に誘われた。寺院や豪邸など特殊な現場経験を積みながら、(株)コートレックスの立ち上げに参加(https://coatreqs.com/)。趣味は料理。職人歴27年のベテランである。
INTERVIEW
1980年10月23日、東京都大田区出身。18歳の時、地元の先輩に誘われて年末のアルバイトで現場に入ると職人たちは厳しかった。怒られ怒鳴られ続けていると、半年後には正社員に誘われた。寺院や豪邸など特殊な現場経験を積みながら、(株)コートレックスの立ち上げに参加(https://coatreqs.com/)。趣味は料理。職人歴27年のベテランである。
Chapter 1
職人歴は27年で、責任者として現場に出ています。コートレックスの会社立ち上げの時からのメンバーです。振り返ると最初の頃は大変でしたが、今は働いている一人一人が各人の役割をわかってくれて、指示を出さずともその場で必要な動きをしてくれる。仕事がやりやすくなりました。
一人一人が職人として一人前なのは当然として、毎回の現場の中で何をするべきなのかを各自が自分で判断できる──そこが育ったのは大きいです。もちろん皆職人なんで、それぞれにこだわりがあって「ここは自分はこうしたい!」という主張はあるんですよね。それを尊重した上で、全体としての動きをわかってもらえると、現場は勝手に良い方向へ動いてくれる、そんな印象です。
自分自身の修業時代は10代のとき、清瀬市で始まりました。きっかけは暮れのアルバイトです。地元の先輩に誘われて手元、ケレン、養生、雑用に手を貸すようになると、二十数年前の時代ですからね、物凄く厳しいんです。最初は優しくて段々怖くなる。あるあるですね。「お前何か月やってるんだよ!」 でも、怒られるには理由があるし、怒られたことで仕事を覚えていくし、厳しい職人の世界が性に合っていたんでしょうね。年が明けても辞めずに、半年くらいたった時かな、「社員として働いてみるか」と社長に声をかけられ。「はい!」と答えました。
Chapter 2
修業時代の会社は、木造の豪邸や、古くからある寺院の改修を得意とする所で、今ではなかなか経験できない“あく洗い”などもやってきました。あく洗いとは──昔の豪邸の長い廊下にはヒノキなどの銘木が敷き詰めてあるのですが、時間がたつと板が汚れて反り返ってしまう。そこで板全体を漂泊して汚れを抜いて、改めてニスかラッカーを塗るという、そういう作業です。
お寺の三重塔の完成を祝う式典には、職人の一人として参列させてもらいました。まだ若い頃に経験した胸を張って自分の仕事を誇れる原点のように思います。芸能プロダクションを経営する社長さんの大豪邸のことも思い出に残っています。
場所は港区の青山でした。芸能界の社長さんの家はこんなに凄いのか。家の作りも凝っていて塗りも手間のかかる作業が多くて、若かった自分はやっていて面白かったし圧倒されました。
玄関もリビングも信じられないほど大きくて、入口からずっと大理石が続き、まるで映画の世界です。広い階段を上がると家族それぞれの部屋があって、お客さんが泊まる部屋、住み込みの家政婦さんの部屋が続きます。もちろん浴室は別々です。
完成したばかりの豪邸のお披露目のパーティにも呼んでもらったんです。芸能関係の偉い人や俳優さん達が何十人も集まっての立食パーティで、そのなかに自分達職人もいて、有名なホテルからシェフが来て、ご馳走を振舞ってくれる。皿に取り分けてもらったのは牛タンの柔らか煮。驚きました、僕たちの知る牛タンって焼肉でも薄いじゃないですか。それがもう、物凄く分厚いステーキみたいな塊で、でもとろけるように柔らかい。ほかにも食パンが一斤そのままあって、ミミが蓋になっていてパッと開けると中にきれいにサンドイッチが入っている。見たことのない演出に言葉も出ませんでした。
Chapter 3
修行時代を経て、同じ現場で働いていた職人仲間の小杉正太から声を掛けられてコートレックスを始めてから7年になります。僕はともかく、社長の小杉は最初は大変だったと思います。二人とも職人でしょう。現場のことはわかっても経営や営業のことはいまいちわからない。
それでもこうして会社を発展させてこれたのは、お互いの信頼関係と「お客さんが喜ぶ仕事をしようじゃないか」という気持ちをずっと持ち続けてきたからじゃないかなあ。不動産屋さんの依頼を受けて、分譲地に黒いシートを貼るとか、塗装に関わらない小さな手間仕事も受けたことがあります。会社立ち上げ初期には、なんでもやっていかないといけませんからね。
家族は妻と子供が二人。まだ小さいので遠くは行けませんが、この夏は友達家族と奥秩父で三泊テント泊をしました。料理が趣味なのですが、何家族分の料理を全部作ったので大変でした。普段は家でボロネーゼやカルボナーラ、肉や魚介を使ったイタリア各地の凝ったソースを作るのが楽しいです。チーズなんかも山羊の珍しいチーズを使ったり、スパイスやオリーブオイルもたくさん揃えています。
作ったパスタは合羽橋で買った専用の皿に盛り付けて見栄え良く写真を撮るんですが、作って・盛り付けて・食べてもらって・自分でも食べて、撮影して記録してと料理は本当に楽しい性に合った趣味です。もし若い18歳の時にレストランのアルバイトに誘われていたら、厳しい先輩シェフに叱られ怒鳴られながら、今頃はシェフになっていたかもしれません(笑)。
掲載日:2024年11月6日
怒られ叱られる現場のアルバイトが、なぜか居心地が良くてそのまま塗装職人へ。気付くと仕事が好きで27年経っている。