Sawada Naoki (age42)
1980年1月15日、埼玉県生まれ。親戚のもとで塗装職人としての修業を始める。19歳で独立して、現在はサイワ塗装工業の代表取締役(https://www.saiwagroup.co.jp)。若き日にはTBS系のTV番組『ガチンコ!』の「ガチンコファイトクラブ」のオーディション及び最終回に出演した経験も。現在は3児の父親で、サイワ塗装工業の看板やシートには次男と撮影した写真を使用している。
INTERVIEW
1980年1月15日、埼玉県生まれ。親戚のもとで塗装職人としての修業を始める。19歳で独立して、現在はサイワ塗装工業の代表取締役(https://www.saiwagroup.co.jp)。若き日にはTBS系のTV番組『ガチンコ!』の「ガチンコファイトクラブ」のオーディション及び最終回に出演した経験も。現在は3児の父親で、サイワ塗装工業の看板やシートには次男と撮影した写真を使用している。
Chapter 1
父親がガン屋、ガン吹きの塗装職人だったんですよ。小さい頃、風呂に入る時は、父が使ったガン器をオモチャ代わりに綺麗に掃除しながら遊んでいました。
ただ、塗装職人になろうとは全然考えていませんでした、実は。考えてなかったんですが、中学に上がると両親の離別があったんです。ヤンチャになった時期もあって高校を中退したんですが、そのとき塗装屋に就職しました。
父に会いたくて、塗装屋をやってれば、いつか塗装屋の父に会えるかななんて気持ちを抱いたんです。従兄弟の父親が刷毛の塗装職人だったので、そこで働き始めました。
住み込みでの丁稚奉公でしたね。仕事が終わってから、食事の用意、掃除、洗濯をやって、親方の世話係もして、兄弟子の刷毛も洗って。自分の時間はゼロでしたね。それで日当1500円でした(笑)。
悔しい思いもしましたけど、早く一人前になろうという気持ちが人の3倍ぐらいあったので気持ちは折れませんでした。それに大親方を尊敬してたんですよ。独立したいという気持ちも生まれてたんで、大変でもついていこうと思いました。
これは会社のホームページの私の生い立ちのところにも書かなかったことなんですけど、実は母親から厳しいトレーニングを受けてたんですよ。だから自立して稼いで食えるようにならないといけなかったし、働いてるほうが楽しかったんです。
Chapter 2
19歳で独立してからは、お金をもらえないことがあって大変でした。貸し倒れ金が6000万円ぐらいあったんですよ。よく分からないまま元請けさんの保証人になって、借金を背負ったこともありました。
建築、店舗、土木橋梁塗装など、運良く仕事が切れることなく続いていましたが、利息だけでも辛いときがありました。当時の従業員には助けてもらい感謝しかないです。当時、一緒につらい思いをした社員が1人、今も残ってくれてるので、僕はそれがうれしいんですよ。だから、借金のことなんて別になんとも思ってません。
自分のことは、オールジャンルの塗装に通じたマルチな職人だと自負しています。これだけできるのは埼玉県内でもいないぞ、と。
丁稚奉公をしてたとき、30人ぐらい親方がいたんですが、それぞれ土木や内装などの得意分野があったんです。その人達全員につけたことで、オールラウンダーになれたんだと思います。
養生も得意ですよ。小学生3~4年ぐらいから父親の手伝いで養生をしてたんで、20代のバリバリの頃は誰にも負ける気がしなかったですね。
それから僕は趣味らしい趣味がなくて塗装が趣味なんで、好きで養生テープを集められるだけ集めたんです。それを使って屋外実験でテープがどれだけ持つか、ノリがどんな残り方をするかを調べました。僕が好きなのは「スーパーサスケ」です。使い勝手がよくて、塗膜との縁切りにもいいから、よく使ってます。
Chapter 3
ヤンチャしてた時期があると言いましたが、実は『ガチンコファイトクラブ』のオーディションと最終回に出たこともあるんですよ。全国のガソリンスタンドに「番組に出る元気なヤツいませんか?」って番組がFAXを流していて、近くのガソリンスタンドの店長から「やってみないか」と言われたんです。書類を送ったら、書類選考と面接を通ってオーディションまで行ったんです。竹原慎二さんに番組内でボコボコにされました(笑)。
一番印象に残ってる現場ですか? 息子の中学校のPTAをやってるんですけど、そこで「塗装屋さんを探してる人がいる」と言われて、その家に行ったら、そこが僕が独立してやった一番最初の作品だったんです。
それは本当に偶然だったんですけど、奥様から「塗装が何十年も持ったから、またお願いしたくて、あんたを探してたのよ!」って言われて、すごく嬉しかったですね。
僕の目標は、さいたま市を守ることです。実は埼玉県って悪徳訪問業者が多いんですよ。実際に僕の現場の目の前で、老夫婦の家の屋根を壊している悪徳業者を目撃したこともありました。その時は動画を撮って警察も呼んだけど、逃げられてどうにもならなかったんですよね。
先程の僕の最初の作品のお客さんも被害に遭っていたことを後に知ったので、すごくショックだったんですよ。だから、悪徳業者を排除するためにもさいたま市でNO.1になるということを掲げているんです。
掲載日:2022年4月8日
20年前一番最初に手がけた戸建て作品の奥様から「また頼みたくて探してたのよ!」と言われて感動しました。