Yuhara Sadaharu (age41)
1980年11月10日、神奈川県生まれ。中学卒業後、大工の仕事を経て、防水職人の世界に入る。独立して立ち上げた株式会社油原興業(https://yuhara-kougyou.com)の代表取締役を務める。ヘルメットにも描かれている油原興業のマークは、油原氏のお母様が油原家の家紋をもとにデザインしたものなのだとか。
INTERVIEW
1980年11月10日、神奈川県生まれ。中学卒業後、大工の仕事を経て、防水職人の世界に入る。独立して立ち上げた株式会社油原興業(https://yuhara-kougyou.com)の代表取締役を務める。ヘルメットにも描かれている油原興業のマークは、油原氏のお母様が油原家の家紋をもとにデザインしたものなのだとか。
Chapter 1
正直勉強が苦手だったんで、早く社会に出てお金を稼ぎたいと思ってたんですよ。父がソ連の日本大使館でも料理していたシェフだったんで、ちょっと料理人の道も考えたんですけど、なぜか母親に反対されました。
父が職人気質の頑固な人で、ケンカしては仕事先を辞めていて生活が大変だったから反対したのかもしれません。それで友達と一緒に大工になったんですけど、入ったところがかなりガラが悪くて(苦笑)。
「これはヤバイな」と思って辞めようと言ってたところで、丁度、防水屋を紹介してもらえたんです。その防水の会社に17歳ぐらいで入って、たまに抜けたりしましたけど、そこでずっと修行しました。独立した今でも関係性は続いてます。
防水職人になって、最初はずっと手元とかの雑作業でしたね。テープって基本じゃないですか? 僕も今やっと言えるようになったことなんですけど、テープさえきれいに貼れれば、後の作業は誰でもできるんですよ。その基本を教えてもらったんだけど、最初は「こうじゃねえ」って言われて全部剥がされるような感じでしたね。
でもそうした基礎だけはしっかり覚えたから、独立してからは中途半端にやってきた人間より評価してもらえました。
Chapter 2
修行時代の苦労はですね……実は今もそうなんですけど、朝起きることが本当に苦手だったんですよ(苦笑)。間違えて現場の鍵を持って帰っちゃって寝坊して現場に誰も入れないとか、車を預かってたのに寝坊したりして……。
途中、責任を負うことから逃げた時期もありました。ただ、自分がそうだったから若い職人の気持ちがわかるところはあります。「若いうちはしょうがない」って僕は思ってるんですよ。
25歳ぐらいで独立して、去年、法人化しました。独立してからは、それまで「1日いくら」という感覚でやっていたのが、「これだけやればこれだけもらえるんだ」って広い視点から仕事を見られるようになりましたね。
今、材料費も高騰してるし、間に入る業者が多いとこちらに仕事が回ってくる頃にはかなり安い予算になってしまいますよね。だから、自分たちでもっと上に行くことを目指してます。
最終的に社員みんなの年収1000万円っていう目標を立てているんですよ。一応ボーナスも出してますし、休日の面でもなるべく土日も休めるようにして、サラリーマンとかに近い待遇の会社にしていきたいなと思ってます。
Chapter 3
会社としては、社会貢献・地域貢献にも力を入れています。小学校1年生と高校1年生の息子がいるんですけど、その子達が少しでも住みやすい環境を作りたいなと思ったんです。あと、職人ってどうしても怖く見られたりするので、そのイメージを変えたいとも考えました。
児童養護施設に寄付したり、定期的にジュースやお菓子を養護施設に持っていったり。知り合いの居酒屋さんに協力してもらって、うちの事務所の前で風船を配って、その風船を持って居酒屋に行った子は無料で駄菓子の詰め放題ができるということをやったりしてます。
あとは子供食堂とか、子供のスポーツチームが反省会や祝勝会に使える場所を作ったりして、地域のコミュニティ作りもできたらいいなと思って、そのための場所を探してます。
僕個人の職人としての目標は、現場に少しでも長くたずさわるということですね。年をとってもたまに現場に出て、ハッパをかけたりできるようになりたいです。
実はここ1~2年ぐらいは社長の仕事のほうが忙しくて、何ヶ月かに1回しか現場に出られなかったんですよ。事務員を雇って現場にちゃんと出られるようになったのが、ここ1ヶ月ぐらいなんです。
久しぶりに現場に出ると最初のほうは勘が鈍っていたところもあって、自分でもショックだったんですけど、それでもさすがに20年以上やってますから、やっぱり社長業より職人のほうが楽しいですね。朝起きなきゃいけない辛さはありますけど(笑)。
掲載日:2022年11月17日
ひたすら基礎を叩き込まれたことで独立してからも評価してもらえました。