Sato Osamu (age48)
1975年2月8日、福島県生まれ。祖父が創業した有限会社佐藤吹付工業(https://www.sfk-paint.co.jp/)の3代目社長。高校卒業後に同社に入社し、塗装職人の道を歩み始める。2013年に代表取締役に就任した。会社のすぐ側に駄菓子屋をオープンさせ、その店頭に立つ「駄菓子屋のおっちゃん」という顔も持つ。ちなみに、好きな駄菓子はきなこ棒とのこと。
INTERVIEW
1975年2月8日、福島県生まれ。祖父が創業した有限会社佐藤吹付工業(https://www.sfk-paint.co.jp/)の3代目社長。高校卒業後に同社に入社し、塗装職人の道を歩み始める。2013年に代表取締役に就任した。会社のすぐ側に駄菓子屋をオープンさせ、その店頭に立つ「駄菓子屋のおっちゃん」という顔も持つ。ちなみに、好きな駄菓子はきなこ棒とのこと。
Chapter 1
自分は、佐藤吹付工業の3代目です。じいちゃんが創業者で親父が後を継いでいました。
自分は男3人兄弟の一番下なんですが、兄貴たちから「俺らは好きなことやっから、お前が後を継いでくれ」みたいに言われて、自分も「就職活動めんどくせえな」と思っていたから、「まあいいか」なんて思ったんですよ(笑)。高校を出てから佐藤吹付工業に入りました。
高校生のときからアルバイトって形で手伝いはしていて、手子(てこ)として親父についてたから、吹付のホースの段取りとかは1年も経たないうちにマスターしました。「自分がいっからうまくできんだ」みたいに、ちょっと天狗になってましたね(苦笑)。
でも、やっぱり若くて未熟だから失敗しました。現場を任されたら、「こういうときって、どうやるんだろう?」って、初めて自分ができねえってことにぶつかったんですよ。改めて自分の技術を見直しました。聞いたままやるんじゃなくて、自分の中で「こうしたらもっとうまく行くんじゃないか」って常に考えるようにしたんです。
Chapter 2
「佐藤吹付工業」っていう名前のとおり、吹付の塗装をやってます。ローラーならローラーでしか出せない模様もありますけど、吹付でしか出せない模様があるんですよ。
会社としては吹付以外の塗装もやってますけど、自分では吹付に関しては誰にも負けない、きれいにできるよっていう自信がありますね。
吹付だと塗料の缶数も必要になります。以前、18階建ての新築マンションの現場があったんです。塗装しながら上階に上がっていくんですけど、途中で材料がなくなったんですよ。エレベーターも使えない時間帯だったから、みんなで1階から一斗缶を両手に持って15~16階まで登らなきゃいけなくて、あれは本当つらかったっすね(笑)。
社長になっても、現場には出てます。今、ちょっと大きい物件があって、そこを担当するのがいないので、毎日、自分が行ってます。
他の職人たちは何班も分かれて、担当する現場のスケジュールが決められているから、自分が一番小回りがきくんです。突然入った現場とかは自分が回ったりしてますね。
先代の言葉で印象に残ってるのは、「職人が現場に行って営業してくるんだ」というものです。もともと、うちは営業っていう営業がいなかったんです。職人がきれいな仕上がりで仕事をすれば、それが次の仕事につながるという考えだったんですよ。
今は営業職はいますけど、特段「仕事をください」って言って回るような営業はしてないのは、その考えを受け継いでいるからなんです。
Chapter 3
20歳のときに結婚しました。中学の同級生だった妻と結婚して、子供は3人、15歳の長男、12歳の次男、9歳の長女です。自分のやりたいことをやってもらいたいなと思うんですけど、次男は自分みたいなタイプなんで、次男が継いだらいいかなとも思っています。
実は会社のすぐ近くに、今年の4月に駄菓子屋をオープンさせたんですよ。自分は伊達市の保原町というところで育って、佐藤吹付工業が今ある福島市鎌田には、会社を持ってくるってことで引っ越してきたんです。保原町では家の近くに駄菓子屋があって、このあたりも昔は3軒ぐらい駄菓子屋があったのに今はもうない状態で。
小学校もすぐそばにあるし、子供たちのために駄菓子屋さんでもやろうかななんて気持ちになって、自分と専務、自分の兄貴なんですけど、木材を買って2人で1から店舗を作りました。平日はうちの母が店番をしてくれてますけど、土曜日日曜日は自分が店に出てるんです。
会社っていうのは、社員1人1人が作り上げるものだと思うんですよ。自分が代表という肩書きになってますけど、社員には「自分が社長だ」ぐれえな気持ちでやってもらいたいという思いがありますね。
今回の取材でお世話になった方々との記念撮影。左から株式会社リンペイの八巻怜さん、佐藤さん、大塚刷毛製造株式会社の有阪章さん。
掲載日:2023年6月19日
「職人の仕事こそが営業なんだ」という考えを受け継いでいます。