Matsubara Ryuji (age46)
1977年2月5日、岐阜県出身。高校卒業後より、塗装職人としての修業を始める。父が営む塗装店の松原塗装で職人としての腕を振るい、2012年に株式会社リペイン工房へと組織変更(https://www.rm-smile.com/)。同社にて代表取締役を務めている。岐阜市に構えた事務所のすぐ近くには、アート作品のような塗装サンプルを並べた倉庫もあり、今回の取材ではそちらの撮影も行わせていただいた。
INTERVIEW
1977年2月5日、岐阜県出身。高校卒業後より、塗装職人としての修業を始める。父が営む塗装店の松原塗装で職人としての腕を振るい、2012年に株式会社リペイン工房へと組織変更(https://www.rm-smile.com/)。同社にて代表取締役を務めている。岐阜市に構えた事務所のすぐ近くには、アート作品のような塗装サンプルを並べた倉庫もあり、今回の取材ではそちらの撮影も行わせていただいた。
Chapter 1
このリペイン工房は2012年に始めました。それまでは父親の松原塗装で、父親と一緒にやっていたんですが、徐々に僕のほうの受注が増えてきて売り上げも上がっていく中で、信用が欲しいと思ったんです。
やはり個人事業より法人のほうがお客様にも安心していただけるところもあったので、リペイン工房という法人にしたんです。
塗装の世界に入ったのは18歳のときでした。そのころ、よそで修業していた時期があったんです。父親の紹介で5年間、そこで修業しました。
そこの親方はいい大学を出てエリートコースを進んでいた方だったんですけど、先代がやっていた塗装業を継いでらっしゃったんです。今と違って「見て覚えろ」っていう時代で、最初は下地処理のケレンばかりで、刷毛や吹きつけの機械には触らせてもらえませんでした。
そこでの修業が終わって松原塗装に戻りました。僕が学んだやり方と、父のやり方のカラーが違うところもありましたし、僕も父もお互い我が強いんで、結構色々言い合ったこともありました。もちろん別に仲が悪いわけじゃないんで、協力し合うところは協力し合ってましたね。
Chapter 2
リペイン工房では、エイジング塗装など意匠性の高い塗装も手がけています。そういう塗装に出会ったのが6~7年前ぐらいで、講習会なんかに参加して知識を得ました。
そうした中で、バルペイントやサンデコっていう海外の塗料を知りました。日本の一般的な塗料って単色しかないんです。ですが、海外の塗料は言葉では表現しにくいんですけど、いろんなものが混ざってる。ビックリというか感動しました。
バルペイントやサンデコは刷毛やローラーも使うんですけど、結構コテで仕上げることが多くて。内装屋さんがパテの作業でコテを使って綺麗にスーッとやるのを見て、15年ぐらい前からコテを使いたいって思いがどっかにあったんです。だから、バルペイントやサンデコを見て「これだ!」と思いましたね。
壁画アーティストのMADBLAST HIRO君と壁画アートのコラボをしたこともあります。壁を塗るという共通点はあってもお互いに知っていること知らないことがあって、話したときに盛り上がりましたね。MADBLAST HIRO君の絵には個性があって、絵を描く姿はまさにアーティストという感じでカッコいいなと感じました。
Chapter 3
会社の本店は岐阜市なんですが、生まれ育ったのは隣の各務原市です。岐阜と言えば、織田信長。信長が斎藤道三から受け継いだ岐阜城もここから見えるんですよ。
岐阜は山が多くて海無し県なんで、昔は川でよく遊んでましたね。中学でのサッカー部の練習が終わったら、友達とそのまま長良川に泳ぎに行ったりとか。地元で育って暮らしてきたんで、地元への思い入れも強いです。
経営者として影響を受けたのは、京セラの稲盛和夫先生です。直接学んだことはないんですが、以前ちょっと違う仕事をしていた時期があって、そのときの会社の経営者が稲盛先生の盛和塾(稲盛氏の経営塾)を受講された方だったんです。
社員教育自体も稲盛先生の哲学をもとにしたものだったので、それがきっかけで稲盛先生の本を読むようになりました。
人間力が経営にも生かされるという考え方を知りましたね。人ってどうしてもクセがあるじゃないですか。そのクセをネガティブにとらえず、ポジティブに変換しようという考え方なので、僕自身にもそれを当てはめて、悪戦苦闘しながら自分を成長させたいと考えています。
掲載日:2023年6月30日
海外の塗料との出会いで「これだ!」と思った。