Kamogawa Minoru (age48)
1974年11月3日、静岡県生まれ。浜松市にて祖父の代から続く株式会社鴨川塗装(https://www.kamogawa-paint.com/)の3代目社長。1級塗装技能士、2級建築施工管理技士、雨漏り診断士。プライベートではバイク、バンドなど様々な趣味を持ち、日本での黎明期のブラジリアン柔術に没頭した経験も。
INTERVIEW
1974年11月3日、静岡県生まれ。浜松市にて祖父の代から続く株式会社鴨川塗装(https://www.kamogawa-paint.com/)の3代目社長。1級塗装技能士、2級建築施工管理技士、雨漏り診断士。プライベートではバイク、バンドなど様々な趣味を持ち、日本での黎明期のブラジリアン柔術に没頭した経験も。
Chapter 1
鴨川塗装の3代目です。祖父が塗装の仕事を始めて、父の代で法人化しました。自宅の1階が事務所で、朝起きて階段を降りていくと職人さんが集まっていて、夕方帰ったときも職人さんがいるような家だったので、塗装はずっと身近なものでした。
中学生ぐらいになると休みのときとかに、アルバイトで手伝ってました。ただ、やっぱり自分の道も見つけたかったので、大学で教員免許を取ったんです。取ったのは、高校の歴史と地理です。
なんて言ったらいいか、やっぱり親がやってるからすんなりその道に入るっていうのに、単純に抵抗があったんです。何かもう一つの道があったらと考えて教員免許を取りました。
ただ、ずっと父と祖父の背中を見て育ってきたので、やっぱり一度はやってみたいという思いも強かったんです。大学を卒業してから、鴨川塗装に入りました。
身近なものでしたし、職人の世界に違和感があったような思いはなかったです。塗装に関しては、修業時代もそんなに苦労はしませんでした。ただ、営業は苦労しましたね。当時、リーマンショックで周りの会社さんも苦労されていましたから。いかに生き残るかっていうところで、いろいろなことを考えました。
Chapter 2
営業のやり方に関しては、自分で変えたところもあります。チラシとかを使って、戸建て住宅に力を入れたんです。売上的には戸建てとそれ以外が半分半分ぐらいなんですけど、件数的には戸建てのほうが8割ぐらいになりました。
社長になったのは10年前です。会社を背負うことになって、父や祖父の苦労を初めて理解できました。お客様にいかに喜んでもらえるかっていうことに関しては、一社員だったときと社長になってからでは考え方が変わりましたね。
会社を継いでからは、先ほどの営業方法のように変えた部分もたくさんありますが、変えなかった部分もあります。それは職人会社として存続するということです。今は下請けさんも増えてるんですが、去年まではほぼ100%自社の職人でやっていました。自分たちの塗装に対して誇りを持つこと。それは祖父の代から受け継いできたことなので、変えずにやっていきます。
自分の仕事の割合としては社長業が9~10割なんですけど、今も年に数回は職人として現場に出ます。塗装はもちろんですけど、左官や防水、簡単な大工工事もやります。そういった技術は研修などで身につけました。お客様の家を守る仕事だと考えると、塗装だけだとやれることが狭いなと思いましたので。
Chapter 3
趣味ですか? 趣味は色々あって、バイク、キャンプ、昔はバンドもやってました。あと、格闘技が好きで若い頃は10年ぐらいブラジリアン柔術をやってました。ブラジリアン柔術の日本での黎明期に浜松にも道場ができて、それがきっかけで始めた感じですね。
今着ている作業着のデニムも、僕の趣味です。もともと作業着のための生地ですから、動きやすいですよ。お客様のところに行くときはちゃんとした格好をするんですけど、普段現場に出るときはこういう格好をしています。
結婚は24歳のときです。高校時代からの付き合いの妻と結婚して、妻には経理として仕事の面でも助けてもらってます。子供は4人で、上3人が女の子で、末っ子が男の子です。年齢は上から21、20、15、9歳ですね。
上の女の子2人は大きいので、たまに会社のイベントを手伝ってもらってます。2人は中学生ぐらいときは「パパのことが大嫌いだった」そうなんですけど、大人になってから一緒に食事をしたときに「パパは若い頃はすごく頑張ってくれてたんだ」というふうに言ってくれて、それはすごく嬉しかったですね。
掲載日:2023年6月30日
3代目社長として変えたことと変えなかったこと。