INTERVIEW
1983年大阪生まれ、東京育ち。日本で現在3人しかいない銭湯ペンキ絵師の一人。明治学院大学在学中に銭湯ペンキ絵師・中島盛夫氏に弟子入り。9年間の修業を積む。独立してからは、銭湯を中心に一般家庭や老人ホーム、遠洋まぐろ船などに、伝統的な題材の銭湯絵を描いている他、作品展などやライブペイントなども開催する。著書に『わたしは銭湯ペンキ絵師』(秀明大学出版会,2011) 。保育園に通う一児の母。
『銭湯ペンキ絵師見習い日記』
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Chapter 1
わたしは銭湯のペンキ絵師です。東京都を中心としたお風呂屋さんの壁に、ペンキと刷毛で大きな絵を描いています。銭湯の壁絵は、男女湯合わせて10mを超えることもあります。そこへ大きな富士山や堂々と太い松、雄大な海、波、空と雲、日本の銭湯ならではの伝統的な風景を描くのが仕事です。
お風呂屋さんのお客さんに頼まれて、一般家庭のお風呂場へ描いたこともあります。普通の家のお風呂場へ、銭湯の伝統的な主題にその中に子供たちの好きなキャラクターや、その家独特の風景を描き入れることで、家のお風呂絵が出来上がります。
変わったところでは、遠洋へ出るまぐろ船内のお風呂場へも描きました。まぐろ船の乗組員は今、ほとんどが外国の方なんですよね。そういう方へ、日本ならではの文化や風情を伝えたいという船主さんからの依頼です。日本の船に乗って日本の食卓に並ぶまぐろを獲る外国人達に、日本の銭湯を味わってもらうために、大西洋の波に揺れる遠洋船で、ゆったりとお湯を愉しめるよう、波に揺れる視線を意識して絵を仕上げました。
Chapter 2
日本には今、銭湯絵師は3人しかいません。珍しい仕事ですよね。きっかけは大学生時代です。近世・近代の日本美術を研究する中で、銭湯絵師の中島盛夫さんに弟子入りして「銭湯」をテーマに卒業論文を作成しました。
子どもの頃から絵を描くのが大好きで、中学生くらいから美術の世界へ進みたいと考えていました。美術大学を受験するための予備校へ通い始めたのは高校1年生の時です。その頃は現代美術が好きでした。結局、歴史を知っていると面白いかと思い美大には行かず、私大で美術史を学ぶ進路を選びました。
銭湯の壁絵に興味を持ったのは大学3年生の時。福田美蘭さん、束芋さん、横尾忠則さんといった、当時好きだった現代アーティストの作品を調べていくと、3人ともにそれぞれが、銭湯をモチーフにした作品を制作していたことに驚きました。
「銭湯か...。どんな場所なんだろう」なんとなくのイメージはありましたが、それまで実際に銭湯へ行ったことはありませんでした。
生活の場がアート舞台になるのかなあ。不思議な興味を感じました。それがきっかけで、生まれて初めて銭湯に行って 驚きました。
湯船に浸ってペンキで描かれた大きな絵を見上げると、まるで自分自身が作品の一部になっているような気がしました。白い本物の湯気が作品の前を無尽蔵に上がり、タライの音が響き、会話が聴こえ、お湯に揺れると、自分もまた絵の中で揺れているような気がしました。人と絵とお湯とその空間が、銭湯では渾然一体と、当たり前のように一つに溶け合っているんですね。これは凄い！ 初体験でペンキ絵の魅力に引き込まれました。
それまで美術館やギャラリーへよく足を運んでいましたが、銭湯という身近な生活の場にこんな美術があったなんて。そうして卒業論文のテーマが「銭湯」に決まっていきました。
Chapter 3
銭湯のペンキ絵は休業日に描くため、1日で仕上げなければなりません。ここ常盤湯さんでは、足場を組んでから絵を描いて撤収するまで、すべてを約12時間くらいで済ませました。足場を組んでいるのは前職が足場鳶だった夫です。銭湯という特殊な現場なので、勝手がわかっている相手と組むのは助かります。材料は水性油性などのペンキですね。公共施設の浴室などに描かせて頂くこともあり、使える材料が限定されることもあります。
絵の構想は、銭湯店主のかたと一緒に考え、ご当地キャラクターを入れたり、ときには「銭湯で飼っている犬を入れて欲しい」というお客さんの要望を盛り込みながら、男湯と女湯にまたがる壁に大きな絵を完成させていきます。男女どちらのお風呂場から見ても正面になるように描くなど、ならではの工夫もあります。
修業の最初は道具運びと手元でした。ペンキが飛ばないように、床や浴槽を養生するのも大切な仕事です。実は養生をするのは、どれだけ効率的にカバーして作業後に楽に外せるかといったことを考えるのが楽しくて、今も大好きです。
刷毛を持ったのは空の色塗りが最初です。弟子入りから3年間は、ひたすら空を塗っていました。でも、一口に空といっても、壁の凸凹や透けずに垂れないペンキの厚みの調節などで、意外と簡単には塗れなくて。それから少しずつ木や岩肌を巻かせてもらえるようになり、7年目で初めて男湯を担当しました。それからさらに修業して、ようやく9年で独立という形になりました。 銭湯のペンキ絵は、大体2～3年で塗り替えるんですよ。
ペンキ絵を描くにあたって「ペンキ絵が100年後に残れば良いなぁ」と思いながらペンキ絵の絵画としての特徴や安全で効率の良い描き方を模索しています。現在既に銭湯ペンキ絵には100年以上の歴史があり、〈青い空・富士山・水辺の風景〉という定番の主題の型があります。型を尊重して継承する事で、長年求められてきた需要が掴めそうになったり、逆にアレンジをすると映えたりと面白さが増していくので大切にしています。
いま子供は保育園です。今日はこのあと迎えにいきます。小さい子供をふくめて、家族が身近に接する日常の絵画が銭湯ペンキ絵だと思うんですよね。いろんな人たちに眺めて頂ければありがたいです。
撮影場所／深川温泉 常盤湯 2023 年3 月リニューアルにあたり、壁のペンキ絵を田中みずきさんが描いた。伝統的な宮造りに最新設備を備える。新たに掘削した天然温泉が話題だ。先代と共に兄弟達が力を合わせて牽引する。 東京都江東区常盤２－３－８ 木曜日営業休
掲載日：2024年7月26日
日本で一人だけの女性銭湯ペンキ絵師は、大きな壁と今日も格闘する。