Odagaki Masaya (age48)
福島塗装勤務 1970年9月30日、栃木県生まれ。中学卒業後、約1年のフリーター生活を経て、16歳で福島塗装に就職。以来、32年間勤続。29歳で結婚、18歳と14歳の娘がいる
INTERVIEW
福島塗装勤務 1970年9月30日、栃木県生まれ。中学卒業後、約1年のフリーター生活を経て、16歳で福島塗装に就職。以来、32年間勤続。29歳で結婚、18歳と14歳の娘がいる
Chapter 1
中学校を卒業して、地元の栃木で1年くらい、フリーター生活というか、アルバイトをしながらフラフラと遊んでいたんですよ。そうしたら、親父に埼玉・川口の知り合いに会ってこいと言われて……会ってみたら、その人がペンキ屋の親方で、いきなりこう言われたんです。
「お前もペンキ屋をやれよ。面倒をみてやる」
それが、この職業に就いたきっかけです。たぶん、自分を何とかするように親父が親方に頼んでくれたんでしょうね。もう30年以上前のことなんですが、つい昨日のことのような気がします。
そのときは、社員にしてくれるということでしたので、塗装職人になるのも悪くないなあというくらいの気持ちだったんです。それに、住み込みだったので、地元を離れられるというのも魅力を感じたという。
まさか、こんなに続けられるとは、そのときは考えもしませんでした。その親方は亡くなってしまいましたが、本当に自分にとって、大恩人だと思っています。
それまでも、職人になることは考えていて、寿司屋さんでバイトをしていたこともあったんです。でも、途中でイヤになって、自分には向いていないと、やめてしまっていたんです。この仕事はイヤになることがなかったので、自分に向いていたんだと思います。それに、正社員としての待遇なうえ、バブルの時代でしたから、給料もよかったんですよ。
最初の1年くらいは掃除、養生、先輩の手伝い……下働きで忙しい毎日でしたが、苦になりませんでした。ほぼ同年代、少し上の年代の気が合う先輩も多かったので、毎日が楽しかったんです。その一方、はやく先輩たちに追いつきたかったんですけれどね。
それに、それまでバイトで働いていたときと違って、自分が働いたことがきちんとかたちになっていく。新しく塗っても、塗り直しても、目に見える世界が変わっていく。下働きでも、自分の仕事がかたちに残っていくのに、やり甲斐が感じられました。
Chapter 2
親方は人柄、職人としての技術、ともに素晴らしかった。遊びと仕事も両方、軽やかにこなしていて、人間として憧れの存在でした。昔ながらの親分肌な職人気質というか、手取り足取り仕事を教えてくれるというのではなく、仕事は見て盗め、という。きびしさもあって、それもかっこよかったんですよね。よく言われていていたのは、「とにかく、やってみろ」ということ。やった結果、失敗をしても怒らず、大切なことは自分で考えることだと教えてくれました。
最初に刷毛を扱わせてもらったときも、全然、うまくいかなかった。どうしていいのかさっぱりわからなかったんですが、自分なりに考えることにして、昼休みなど休憩時間も練習していたことが記憶に残っています。自分自身、はやく腕を身につけたかったんです。それに、親方に認めてもらいたいという気持ちも強くありました。
3年くらいすると、一人前とは言えないですが、並みの仕事はできるようになったという手応えを感じるようになりました。
「一人で現場に行ってこい」と言われたとき、本当に嬉しかったことは忘れられない思い出になっています。
すごく、不安でしたけれどね。刷毛は人並みには扱えるようになっていたけれど、まだ色をつくることとか、うまくできていませんでしたからね。それに、現場では何が起こるかはわかりません。それほど経験がなかったので、一人でうまく対処できるのか、すごく不安だったんです。
いまは徳竹塗装さんの現場を手伝っていますが、ずっと16歳で入社した福島塗装の社員なんです。あっという間の30数年でしたね。入社した頃の社長、というか、亡くなった親方の息子さんがいまの社長です。ともに働いてきた仲間の多くも会社に残っていて、いまの社長を含めて同世代ですから、すごく居心地がいいんですよ。みんな親方として頑張っていて、かけがえのない仲間な一方、ライバルみたいなところもあるので、励みにもなっています。
Chapter 3
塗装用具や技法は日々、進化しています。自分がこの仕事を始めてから、だいぶ様変わりしてしまっていますが、そこがおもしろいところです。
職人として一人前のレベルはありますが、最終的に到達するところ、もうここで終わりというところはありません。材料にしても、道具にしても、新しいものがでてきたら、それを使いこなさなければならない。刺激を受けることが多いというか、仕事がマンネリになることがないんです。
それに、習得していたと思っていた技術、技法にしても、こうすればもっときれいに仕上げられる、ここを工夫したらスピードアップが図れることに気がつくこともある。仕事は自分なりに考えてしていくことを教え込まれているので、そういう新鮮な発見をすることができるんだと思います。
趣味や特技はとくにないんです。あえて言うなら、ペンキ塗りですね(笑)。ペンキ塗りがあってこそ、いまの自分があるわけですからね。
若い頃はバイクに乗ったり、パチンコをしたりしていたんですが、最近はまったくそういう遊びに興味がないんです。休みの日はずっと家にいます。
29歳で結婚しました。妻は取引先の信用金庫で働いていて、知り合いました。結婚してからは、家族を支えていく責任感を持つようになって……自然に仕事が趣味になっていって、仕事と家族が中心の生活を送るようになったんです。
子供は女のコが二人いて、18歳と14歳になりますが、上のコは4月から大学に通っています。看護師になりたいと看護学部へ進学したんですが、手に職をつけたかったようです。自分の背中を見てきてくれたのかもしれない、なんて、親としては思っています(笑)。それに、こう言っていたのを聞いたこともあります。「将来、サラリーマンではなく、職人さんと結婚したいな」――心から、嬉しかった。
Chapter 4
独立することは……考えたことはありません。塗装の仕事が好きなので、ずっと現場で仕事をしていたいからです。独立した人たちをたくさん見てきていますが、塗装以外の仕事が多くて、たいへんそうですからね。経理や営業とか、自分に向いているとは思えないですし、正直、あまりやりたくない。身体が動く限り、このまま職人として、働いていきたいんです。
塗装の仕事が好きというのは、ニュアンスとして、ちょっと違うのかもしれません。いまの自分にとって、仕事は生活そのものになっています。生活は日常ですから好き嫌いもないですが、仕事も日常になっている。
きれいに塗り上げることは嬉しいことですけれど、それは自宅をきちんと掃除をすることと同じようなことです。
塗装の仕事を始めてから、そういう教えられ方をしてきましたから、自分にとって当たり前なことなんです。
これからやっていきたいこととしては……親方が自分に道を拓いてくれたように、塗装業界に入ってくる新人たちに、道筋をつけていってあげたい。親方のような器量はないかもしれませんが、自分なりに頑張っていこうと思っています。
振り返ってみると、親方と出逢えたこと、親父が親方を紹介してくれたことは、すごくラッキーなことでした。ある意味、自分の人生が決まったわけですからね。
掲載日:2018/11/14
塗装の仕事が自分の趣味、生活そのものになっています