Fukuyoshi Natsuko (age39)
1985年6月26日、 神奈川県生まれ。職人歴20年。高校を卒業したのち、建設の仕事に就きたいと、平成17年に東京は千駄木の原田左官工業に入社した。伝統から現代技法まで、古今の左官技法を駆使して仕上げて、壁に物語を語らせる。家族四人の献立を考えるのが毎日の悩みだ。 原田左官工業所https://www.haradasakan.co.jp/
INTERVIEW
1985年6月26日、 神奈川県生まれ。職人歴20年。高校を卒業したのち、建設の仕事に就きたいと、平成17年に東京は千駄木の原田左官工業に入社した。伝統から現代技法まで、古今の左官技法を駆使して仕上げて、壁に物語を語らせる。家族四人の献立を考えるのが毎日の悩みだ。 原田左官工業所https://www.haradasakan.co.jp/
Chapter 1
わたしの仕事は左官です、都心のオフィスの受付やレストランの壁などをコテで作っています。インテリアに凝ったお店、独特の意匠を求められる場所が多いです。例えばいま流行っているのは〈プラスタル版築〉という壁です。土や砂や砂岩が長い時間をかけて堆積した雰囲気の、地層のような造形をセメントモルタルと石の粒子で描き出します。
人の視覚というのは不思議なもので、瞳には壁の表面しか映っていないはずなのに、だいたい1センチの厚さですが、材料を塗り重ねた厚みによって、独特の重厚感というか、時間の奥行きというか、そういう人間の五感に訴えるような、視覚以上のものを演出できるんですね。
事前の打ち合わせで施主さんが求めるイメージが深海のような静かな雰囲気なのか、乾いた砂漠なのか、深い森の奥なのか... よく把握して、専門スタッフが材料を調合して、わたし達職人が現場で塗っていきます。
わたし達左官を支えているのはさまざまな伝統的な技法ですが、新しい素材が次々と開発され、合わせて現代技法も次々に誕生しています。たとえば、〈染Sen〉はうちの会社のオリジナル表現で、表面を色で塗るというよりも、壁の奥深くまでを色彩で染めていくイメージです。和服の染め物からヒントを得た技法ですが、独特の風合いが出ます。
石灰を材料とする現代漆喰に〈フルーフレ〉があります。漆喰の壁は湿度を吸ったり吐き出したり、日々の空気を壁が呼吸するのが特徴で、それによって部屋の湿度が自動調整されたり、消臭されたり、さまざまな良い特性が生まれます。石灰そのものの硬化で強度を出すので、化学樹脂などの硬化剤も必要がありません。もちろん伝統的な技法で珪藻土も使いますし、コテで削って描く意匠もあります。塗ったり押さえたり、厚めに塗ってひび割れを演出したり、時代の中で新しい仕上げが常に求められます。
Chapter 2
左官になったきっかけはネットで求人を見つけたからです。当時19歳、今でこそ左官志望の若い人達が多いのですが、当時はまだスマホがない時代で左官がどういう仕事なのかもわかりません。とにかく稼ぎたくて、お金が良いのはやっぱり建設だろうと、それだけを考えて入社しました。
じつは一度造園の会社に入ったのですが、女性のいない会社で、向こうも扱いに困った様子でした。男性ばかりの現場に突然若い女性が入ったら、そういうこともありますよね。それで一度リセットして、ネットで〈建築・女性〉で検索をかけたところ一番最初に出てきたのが〈原田左官〉だったのです。
左官という仕事については何も知りませんでしたが、女性の職人が活躍している会社という事に安心して入りました。
先輩の女性は12歳上と8歳上、同じ年代も一人いましたね。
本当にまったく何も知らなかったので、「へえ、左官てこういうものなんだ...」と逆に一つ一つの経験が染み込みやすかったのかもしれません。仕事は楽しかったです。コテを持つのはだいぶ先で、最初は養生をしたり、材料を運んだり。そのうち土間のような塗りやすい場所を「ちょっとやってみる?」と、順序立てて仕事を覚えていきました。
うちの会社の場合、見習い期間は4年間です。その期間を経て初めて職人になるわけです。見習いの頃よりも、職人としての経験を積んだ今のほうが、正直責任の大きさに大変さを感じます。
Chapter 3
生まれ育ったのは横浜で家族は4人、就職してすぐに結婚しました。旦那は高校時代の友達です。
日曜日が休みなのですが、ほとんど家のことをやって一日が終わります。自分の家もコテで塗りました。リビングの壁と、最近は玄関のニッチ(小さな置き台)を作りました。物を作るのは昔から好きです。趣味は植物を育てることかな。観葉植物や多肉植物、苔、家の中にも外にもたくさんあります。一番大きなのはオリーブの木、レモン。西洋アジサイの白い花は大きくてきれいです。
子供は18歳と16歳ですね。上の男の子はそろそろわたしが働き始めた年齢ですが、現場で働くのは絶対に嫌だと笑っています、イメージでしょうか。でも原田左官には若い人達がたくさん、女性もたくさんいるんですよね。親子の会話ではいつも笑ってしまいます。
家のことを毎日やるのは大変です。とにかく、まず3食をきちんと作らないと。
献立を考えることが一番悩む日々のノルマで、通勤の電車の中で考えあぐねたり、ネットで調べたり本当に大変で。料理は好きなのですが時間がなくて。
会社は東京の下町、文京区の千駄木で、神奈川の自宅からは1時間半、毎朝5時に家を出て通っています。仕事は夕方は6時くらいまでですね。とにかく家のことはやる事が多くて、追われて忙しいです(笑)。
充実した左官の仕事ですが、残念なこともあります。意匠を凝らして作り上げた都心のレストランやお店などの多くが、流行やトレンドのなかで数年ごとに入れ替わっていきます。時代に残る、心に残る仕事をしたけれど、数年後に通りかかると無くなっている、なんてことが少なくないんです。作品性の高い贅沢な物だけれど、それゆえになかなか長く残ってくれない。そういうわたしにとっての仕事の夢は、地元でずっと残るような、いつ見に行ってもそこにあるような、そんな愛され続ける建物を作ることでしょうか。
掲載日:2025年3月28日
左官、それは華麗なコテ捌きで壁に物語を描き出す仕事。