Satoh Yoshiyasu (age27)
株式会社近藤塗装勤務 1991年4月17日、東京都生まれ。都立六郷工科高等学校デザイン工学科卒業後、千葉県の塗装会社へ就職。6年間勤務後、2016年に近藤塗装へ転職。趣味はキックボクシング、公式試合への出場歴もある
INTERVIEW
株式会社近藤塗装勤務 1991年4月17日、東京都生まれ。都立六郷工科高等学校デザイン工学科卒業後、千葉県の塗装会社へ就職。6年間勤務後、2016年に近藤塗装へ転職。趣味はキックボクシング、公式試合への出場歴もある
Chapter 1
親父は建設業をやっているんです。高校時代、親父に誘われてバイトで建築現場へ行ったときのこと。たまたまペンキ屋さんのお手伝いをしてみたんですが、やってみて、すごく楽かった――それで、高校卒業後はペンキ屋さんの仕事をしたいと強く心に決めたんです。
親父は家業の建築業を継いでほしかったみたいです。でも、建築業にはあまり魅力が感じられなかった。とにかく、楽しいこと、自分のやりたいことを仕事にしたかったんです。最初、親父は反対していましたが、最終的には、やりたいことをやればいいと認めてくれました。
この仕事に惹かれたのは……ペンキ屋さんは住宅の外壁を塗って、そこに人が住むことになります。つまり、住む人のことを考えて外壁を塗っているということ。うまく言葉にできないんですが、そこが素晴らしいと思った。もちろん、建築塗装だけでなく、親父の建築業もそこに住む人のための仕事なんですが、塗装はいちばん目に飛び込んでくる住む家の色、彩りを加える仕事ですからね。たとえば、外壁を白く塗るだけで、建物の貌ががらっと変わる。ボクは工業高校のデザイン科に通っていたんですが、そういうところが自分の興味があることにすごく近い仕事だと感じました。
ただ、塗装会社に就職しようと思っても、何の伝手もありません。最初に就職した塗装会社には、親父の知り合いの建設会社の紹介で入ったんです。
Chapter 2
ただ、就職した塗装会社は千葉にあったんです。通勤は電車で1時間かかって、そこから現場へのクルマで向かうので、毎日の移動時間は3時間を超えることもざらだった。いま考えると、近くの塗装会社を探せばよかったんですけれど……何も知らなくて、ペンキ屋さんになるのはむずかしい、誰でもなれる職業ではないと思い込んでいたんです。ですから、遠く離れた千葉の会社でも、せっかくのチャンスを逃すまい、と。押しかけ女房ならぬ、押しかけ就職みたいな感じでその会社に入れてもらいました(笑)。
いま考えると、誰でもペンキ屋さんになれるといえばなれるんですよね。すごい勘違いをしていたんですが、それだけ思いが強かったので、一生懸命、働いていました。
でも、最初の1年間は刷毛を触らせてもらえず、塗りの仕事はやらせてもらえなかった。ケレンや養生、塗料や道具を運んだり……いちばん年下の下っ端でしたから、先輩職人の手伝いばかりでした。
塗りたい、塗りたいと塗ることへの憧れが募った1年間。いつか塗る仕事ができるんだから、耐え続けるしかないと覚悟を決めていましたから、イヤにはならなかったんですが、辛抱の毎日でしたね。
正直、そんなに楽しくなかったんですが、1年経って、塗る仕事をやらせてもらえたときは、そのぶん、大きな喜びになりましたよ。仕事をしているというよりも、学校で美術の授業を受けているのに、お小遣いをもらっているような感覚。教えてもらえるし、お金をもらえるし……さらに、やりたいことをやっているという充実感もありました。
ただ、20代半ばになって、移動時間が長いことが、だんだん、きつくなってきたんです。
その会社で6年間働いて、近藤塗装に移ったのは2年前でした。あるとき、ペンキ屋さんはどこの街にも結構、あるということに気がついたんですよ。すごい、うかつなことだったんですけれどもね(笑)。
Chapter 3
具体的に転職しようと思ったのは……たまたま引っ越した先の近くに、いまの会社があったからです。求人を募集していたわけではなく、看板を見て、連絡先を調べて、働きたいと電話をして……やっぱり、押しかけ就職みたいな感じだったんです(笑)。
いま働いている近藤塗装以外にも、近所に塗装店はあったんですけれどね。でも、店先や出入りしている職人さんたちを見ていると、だいたい雰囲気はわかるんですよ。きちんとしたペンキ屋は佇まいが違う。店先や倉庫はきれいに清掃されていますし、職人さんたちも精悍な顔つきをしている。
建物の〝見た目〟の大部分は塗装で決まると思うんですが、6年間の経験から、ペンキ屋も〝見た目〟で何となくわかるような気がするんですよ(笑)。
結果として、そういう自分の感覚は正しかった。以前の職場は昔ながらの〝町場仕事〟が多かったんですが、いまの会社はいろんな現場があります。今日も大田区の施設ですが、いわゆる〝野丁場仕事〟、大きなプロジェクトの現場もあります。塗装職人として、いろいろな経験ができるので、勉強になります。2年前の選択は間違っていなかったという。
Chapter 4
将来的には……いつかは、独立したいと考えています。塗装業界もいろいろ環境が変わっています。時代が変わっているというか、以前なら、20代で独立することも普通だったようですが、いまは税金にしろ、人を雇うにしろ、コンプライアンスにしても、いろいろきびしくなっています。そんなにすぐにできることではないと思っています。
ただ、やっぱり、この仕事を始めたときから、頭の片隅にあったことですからね。経験を積んできて、自分の〝色〟で仕事をしていきたいという気持ちも強くなってきています。ですから、徐々に準備を進めていこうと考えているところです。たとえば、いま持っている資格は有機溶剤作業主任者、耐火塗料塗装施工技術者くらいですが、これからさまざまな資格の取得にチャレンジしていきたい。
2年前に結婚しました。家の近所の近藤塗装に転職したのは奥さんとの時間を大切にしたくて、というわけではなくて、たまたまなんですよ(笑)。でも、千葉の会社に通っているときは二人の時間があまりなくて……そういうこともあって、4年前から同棲していたんです。ただ、いまの会社の近くに引っ越したのも、奥さんの実家の近くに住もうということだったので、結果としては、転職したことはすごくよかったんですけれどね。
会社が近いので、いまは帰宅時間もそれほど遅くならず、午後7時くらいにはいっしょに夕食をとっています。以前は朝にしても、現場が遠いと始発で会社に向かい、コンビニのおにぎりが朝食ということもありました。そう考えると、前より、ずいぶんと円満に暮らせていますね。
奥さんは7歳年上。姉さん女房で正直、尻に敷かれています(笑)。ただ、すごくしっかりしているので……自分が独立しようとするときも、タイミングなどを見計らってくれるような気がしています。また、それより何より、自分はいままでのまま職人仕事を続けていきたいんですが、独立してもきちんと経理とかをやっていける自信はありません。でも、奥さんは仕事の経験もありますから、安心して経理も任せられそうです――というようなことを、将来設計として、二人で話しています。それにまた、奥さんの連れ子の13歳の娘もいるので、これから、もっともっと頑張ろうと思っています。
掲載日:2018年12月10日
いまの会社に移って、次のリングに立てた気がする